メンタルの挫折を防ぐ心の持ち方
メンタルの挫折を防ぐ心の持ち方
生きがいを見失った場合
生きがいを見失った場合を含め、
心が挫折すると、能力やチャンスがあっても、一切そこから先に
進むことが出来なくなります。
それは今まで培ってきた人生体験の知恵や能力、そして自信さえも、根こそぎ粉砕されるかのようでもあり、とても辛いものがあります。
そういう意味で、心の挫折は私たちをまるで小さな乳飲み子のように無力な状態にさせてしまいます。
私たちの頭は、圧倒されるほどの困難や難局に出会うと、多くの場合、心が挫折し、他からの救済を求める方向に行こうか…、あるいは、現実をしっかり受け止めて問題解決策をとことん追い求めようか、多くはどちらかの選択肢に立つように思考回路が働きます。
傾向として、依存心が強ければ前者、自立心が強ければ後者を選択するといえます。重大な問題にかかわらず、それを「見てみぬ振り」をし、成り行き的に過ごしてしまう場合はやはり、依存心の強い状態であるといえます。
自立心をきちんと心の中で作り上げている人は、心の挫折からは比較的早く立ち上がり、悩みや問題解決に向けて再スタートを切ることが出来ますが、問題なのは依存心の強い生き方になっている人です。
強い他人依存は、自分で自分の首を絞める悪循環にハマり易い
このフィールドで生きている人は、なかなか自分の力を積極的に生かし再起しようとしません。もともとその育成暦から、ものごとへの価値観の基準が、「どうしたら自己責任を取らずにすむか」というところにありますので、
実際、難局に陥ったとき、「そこから抜け出すのは他人の手が行ってくれる」とつい誤った錯覚に陥り、いつまでも苦境、難局の渦中で、もがき苦しむことになります。
また、周りが支援の手を差し伸べても、心の殻に閉じこもってしまい、決まったように拒絶的な態度を続ける人もいます。俗にいえば<いじけ>ている状態ともいえます。深層心理的にいえば、こういう態度を取ることで、自分の存在に、より注目して欲しいと、本人は無意識ながらも、感情が自然にそのように反応してしまうのです。
こういう他人依存の強い人は、結局は自分で自分の首を絞めているような悪循環に陥ってしまっているところがあるのですが、本人にしてみれば、まったく気が付かない訳です。
苦難局面でも、それさえ楽しむ<楽遊の精神>
苦境や難局は、自然界でいえば突発的な「自然災害」に似ているようなところでもあり、毎年やってくる台風や梅雨のようなものでもあります。
どんな素晴らしい生き様や人格者であっても、来るときはくる。
自然界に四季があるように、人生にも四季があります。
ここで大切なのは、こういう苦境、難局に対して、どういう気持ちで臨むのかということです。
人生の達人、人格者、自立心人には、不思議とこのような環境に陥っても、意外と早くそこから立ち上がり、しかも、そういう難局にありながらも、しっかりと「難局中の福」として、その中に潜む多くの学び、福となる要素を吸収しています。それがまた知恵となり力となります。
彼らに共通していることは、苦難の局面に立たされていても、絶望感を持つことなく、難や禍いの中に潜む<福・喜びの収穫>をいかに見つけるかという要素も含めた、楽しむ精神、つまり<楽遊の精神>で臨んでいるということです。
これは、「無責任でノー天気な明日を考えないその日暮らし」の生き方とは根本的に違います。
きちんと、明日やその先のことを考え、その上で、「今置かれている状況の中で、何が出来るか」をしっかり考えているからこそ、こうした苦難局面でも<楽遊の精神>が可能なのです。
ここでの<楽>は、それを無邪気な心で「楽しむ」という意味のものです。<遊>は、ものごとの価値に偏らない、中庸(ちゅうよう)の心と、捉われの無い自然体で自由な精神という意味を持ちます。やるべきことはしっかり取り組み、あとは「天にお任せ」と
いうところでしょうか…。
この心の持ち方が出来るか出来ないかは、何より心身への負担度が天と地ほど違ってきます。だから人生の達人、人格者、自立心人は魅力的なオーラを失わず、健康で、豊かな幸せな人生を実現していけるのですね…。
日本人の脳特性にもきちんと対応が出来ている問題解決スキルでの、正しい思考技術を身に付けていくと、不思議と、こうした心の挫折回避能力も、実践生活の中で自然と養われていきます。